2010年8月1日日曜日

亡くなったサンボの先輩のこと

更新、ご無沙汰です。
最近、ちょっと書くモチベーションが落ちてました。
が、書く理由が出来ました。
今回は特別編です。
 
 *  *  *

前回、「先輩方、特に神奈川大学レスリング部OBの先輩からは、両足タックルや片足タックルなどを教わった。」と書いた。
この先輩が先週ガンで亡くなった杉本靖さんである。

私の七つ上なので、高2の春にスポーツ会館に入ったとき、杉本さんはもう社会人だった。
最初、杉本さんは「オオヤマ、オオヤマ」と呼んだ。
というのも、私は入門当初は柔道衣で練習していて、胸に高校名を入れていた。
しかもマジックで(笑)。
杉本さんはそれが名前だと思ったらしい。

しかし、内気なW少年は、遙かに年上の先輩に「いえ、自分の名前は……」と言いだせず、しばらく「オオヤマ」と呼ばれるに任せていた。
やがてそのことに気付いた杉本さんは、次に「コウイチ」と呼ぶようになった。
遙かに偉くて強い先輩に下の名前で呼ばれるというのは、嬉しいものである。
練習後の飲みの席にも、高校生の自分をよく誘っていただいた。

杉本さんは強かった。
私がサンボを始める前から全日本で入賞されていて、その後もずっと現役時代は全日本では入賞台の常連だった。
私がいた当時は同階級(57kg級)だったので、よくスパーしたが、勝った記憶がほとんど無い。
レスリング部出身の杉本さんとスパーをすると、組んでも自分の柔道の投げ技は何も通用しなかった。
かといって、タックル系統を仕掛けようにも、その杉本さんから教わったのだから、本人には通用せず。
自分の投げが潰れたところを、固められて十字を取られるというパターンが多かったように思える。

ただ、一回だけ覚えている。
いつものように自分の技は何も通用しなかったのだが、右手で相手の袖口をつかんだ瞬間、突然ひらめくものがあって、袖釣り込み腰をやった。
自分が持っている技はすべて見きっていた杉本さんを、初めて掛ける技で完全に投げたのだ。
スパー後、現在千葉で県会議員をやっているEさんが「すごいな、練習していたのか」と寄って来た。
「いや、イメージトレーニングしてただけで、技を掛けるのは初めてです」と答えると、「それが本当ならお前は天才だ!……でも、普段の練習を見るとそうとはとても思えないがな」とEさんは笑った。
しかし、その袖釣りも杉本さんには、もう永遠に掛かることはなかった。

大学に入ると遊んでしまった私は練習量も落ち、大学1年の全日本で1回戦負けしたのを機に、スポーツ会館から足が遠のくようになる。
杉本さんにはいろいろとお世話になったのに、ちゃんと挨拶をせずにサンボから離れてしまったのは、正直、どこか後ろめたさがあったままで。

その後、自分は格闘技マスコミに入ることによって、またサンボとかかわりができるようになった。
杉本さんとも、サンボの大会会場で会ったとき、軽く挨拶を交わすようになった。
そんな関わりだった。

今年の全日本前日にあった連盟理事会で、同じく理事である杉本さんが欠席したこと自体は何とも思わなかったのだが(所用で欠席する理事は多いので)、ただ事前の出欠報告自体も無届けであったことを知り、「あれ……」と引っかかるものがあった。
いま思えば、その頃は本当に最後の闘病時期だったのだ。

タックルの練習なんてここ何年もやっていなかったけど、あの頃の杉本さんの教えを思い出して、今度ちょっとやってみたくなった。